1 実況!RK手術
手術室の白い無機質な天井から、明かりが全身に降り注いでいる。すぐ横には、エキシマレーザー装置が巨大な身体を横たえている。
私は何とか気持ちを落ち着かせるために、深呼吸を繰り返すのだが、意外なほどに緊張していて、思うように酸素が肺胞まで届かない。もどかしさがつきまとう、妙な感覚だ。
事前にカウンセリングを受け、自身納得ずくで手術に望んだのに、我ながら情けない状態だ。
手術室の扉が開き、長身で胸板の厚い矢作院長が入ってきた。
矢作院長の視線を感じると同時に、急激に呪縛から解放された。全身に張りつめていた緊張感が消失した。一種表現しがたい宗教体験にも似た感覚だ。
矢作徹、四十三歳。防衛大学応用物理学科卒。東京大学文学部国史学科卒。信州大学医学部卒。米国タウンゼントハリス大学にて医学博士号を授与さる。(中略)
「ルポライターの世界も、保守的なんですね」
「はい・・・」
と、返事をしたとき、矢作院長が、
「顎を少し上げて、上の光を見ていてください」
と、続けた。
私は、「?」という感じ。少し、矢作院長の語調が変化したからだ。それで、「?」と思ったのだが、その時は既に右眼にダイヤモンドメスが入れられていた。
手術器具は全く見えないし、勿論メスなど手術が終わっても見なかったぐらいだ。
痛みは少しもない。多少の点状の圧迫感があるだけだ。
敢えて表現するならば、固茹卵(ハードボイルド)を想像して欲しい。更に、卵の表面を特種コーティングした、と考えてみよう。
この物体をゾーリンゲンの超薄刃でカットする。ちょうど、そんな感覚に近い。
ダイヤモンドメスが私の角膜に、一瞬で吸い込まれていく。
<スルリ・・・>
<ツゥー・・・>
オプティカルゾーンから外側に向けて、ダイヤモンドメスが正確かつ素早く移動する。
実に滑らかな動きだ。外側の補助器具で止まった。
痛みは全くない。切開されている感覚も、よほど集中して意識しない限り感じられない。(後略)
2 RK手術で近視が治る理由
一昔前までは、これらの眼の病気(敢えてこう表現する)は、眼鏡なりコンタクトレンズで矯正して、ハイ終わりとなった。だが、ここに”近視は病気である”という定義の元、RK手術による角膜屈折矯正の術式が確立されるに至った。
詳細は矢作医師の一連の著作を見て頂くとして、ここではRK全体の概略を私というフィルターを通し、ド素人の視点で詳述してみたい。
角膜が意外と強靱だという事実を、読者は知っているかな?
私も最初はRKと訊くと、”眼を切る手術”というインパクト以外になく、そんな怖いこと、危険なこと・・・その程度の認識力しかなかった。だが、人間の身体組織ってえやつは、とても良くできている。
読者よ、身体の表面や先端にある組織って、特に人間の中でも丈夫に出来てるって、思ったことはないかな。
手、足の指先には爪があり、指先をガードしてるし、頭のてっぺんには毛髪、その下には頭蓋骨・・・と言うように、身体の表面部分は以外と頑丈に出来ている。
そこで、問題は眼だ。これは、なにも自分がRK手術を受けたから言うのではないが、身体の表面に露出している組織で、眼だけが私には謎に思えてならなかった。
素人考えであったとしても、これほど不安定に見える部位は、肉体上他には存在しない。なのに、ヒトの進化過程の中で、眼球は現状のように脳の一部から進化発達してきた。
言うなれば、進化途上における最先端器官の一つであるはずだ。それなのに、どう見ても一番外傷を受けやすい形態に、進化発達している。果たして、なぜか・・・?
読者はそんなふうに考えたことはないだろうか。私はこの疑問が氷解するまで、正直言ってRK手術を受ける気にはならなかった。
矢作医師は、この答えを明解に出してくれた。
「人体組織の中で、もっとも強靱な組織の一つが角膜である」
私はそれを訊いた瞬間、正に眼からウロコ状態だ。
<えっ?角膜って、そんなに丈夫なの>
私の感想はこの通りだったが、子供の頃から考えていた”身体の表面組織は、意外なほどに強靱である”という自説と見事に一致するので、思わず納得した。
この矢作医師の一言がなければ、いかな単細胞の私とて、RK手術を即断するわけはない。RK手術とは、平たく言えば角膜の屈折力を変え、近点で結像する近視状態を改善することだと思えばよい。
近視になると角膜、水晶体が厚くなり、円錐状になる。なぜか?って・・・それは、角膜と水晶体が厚くなったまま調節力を失い、固定化されるからだ。
故に、RK手術により、角膜を四〜十二本にカットして(カットする本数は、近視の状態による)、角膜表面の屈折力を変えーつまり、円錐状からカットにより角膜を平坦化するー近点に結像状態を、網膜の上に正しく結像させるようにする。
遠視の手術ははこれの全く逆で、平坦状(近視の逆で、角膜や水晶体が薄いまま調節力を失い、固定化された状態)の角膜を円錐状に・・・切れるわけがないのである。なぜか?眼には眼圧がある。切開(カット)して角膜に傷が付けば、眼圧で眼球自体が自然に盛り上がりる。そのため、近視者の場合は角膜が傘が開いたように平坦になり、屈折力が変わり近視が改善される。
しかし、遠視の場合はこうはいかない。この遠視を治す術式をラウンドナートと言う。
これぞ、矢作式RKの真骨頂であり、矢作式RK手術と名付けられ、他のRK手術とは差別化される、超高等技術であると言われる由縁でもある。
ラウンドナートとは、遠視で平坦化した角膜表面を、血管縫合用の針と糸で円形に縫う術式である。この術式により、平坦な角膜の状態を円錐状に盛り上げた状態に改善し、遠視を治すのである。
言葉で書けば至極簡単だが、この術式こそ日本では矢作医師だけが可能な手術なのである。いや、恐らく、世界でも矢作医師だけなのではないだろうか。
RK手術じたいがPRK手術とは違い、医師の技量によることは後述するが、ラウンドナート手術となると、更にミクロの世界の手術となるため、この領域の手術は医師の技量以上の世界、つまり天賦の才に負うところが大きい。
小さな眼の、それも瞳の外周部を見えないほど細い糸で、丸く縫い上げる技術・・・これは、天才外科医矢作徹以外には不可能と見た。(後略)
5 羊の皮を被った狼
私達がガキの頃、”羊の皮を被った狼”なるコピーが大ヒットした。対象品目は”車”だった。
年輩の読者であれば記憶しているだろうが、かつてプリンス自動車という会社があった。アダルトに”グロリア”、ヤングには”スカイライン”を販売し、なかなかの人気だった。
その後プリンス自動車は日産と合併し、日産プリンスとして生まれ変わり、現在に至る。旧プリンス系自動車の中でも、現在までグロリア、スカイラインともに人気車種として残っているのは、読者も知っての通りだ。
この名車スカイラインのコピーこそが、”羊の皮を被った狼”だった。後のスカイライン2000GTR、通称ハコスカGTRの前形式に、S54A(エス・ゴー・ヨン・エー)、S54B(エス・ゴー・ヨン・ビー)と言う形式があった。スカイラインS545Bは、2リットルW(D)OHC(古い表現だネ。今なら、ツインカム・・・即ち、ダブルオーバーヘッドカムシャフト)のエンジンを、ウェーバーの三連キャブで武装し、ゼロ〜400 15.4秒という驚異のスピードを叩き出した。
外観上はセダン(A)もスポーツ(B)も変わりはなかったが、疾りを見ればビックリ!・・・と言うわけで、このコピーが誕生した。
このS54Bの発展型が、ソレックスの三連キャブで武装したハコスカGTRだった。GTRは、外観はセダン車との識別は、その特異なオーバーフェンダーと”R"の赤いエンブレムだけだったが、W(D)OHC S20型エンジンが獣の咆哮を上げると、日本グランプリで、ポルシェをブッ千切る程の疾りを見せる。正に、コピー通りの名車だった。(中略)
私が本書で紹介した四人は、何れも本物の”狼”ばかりだった。
本来”狼”のイメージはかなり悪い。日本でも明治末期から大正の頃に、家畜を襲う(人間が増えすぎ、狼のテリトリーにまで侵入したからだ!)という理由により、国家体制で一掃されてしまった。まことに慚愧に耐えない。
狼という言葉は”大神”に通じ、太古日本では神の使いとして一般に認識され、ある種畏敬の念で見られていた。
私の叔父は、真言密教の大阿闍梨で、深山幽谷で断食修行を続けた人だった。瀧場から護摩堂まで真言を誦しながら歩く道中、狼たちが後になり先になり先導してくれたそうだ。
狼達は日々ローテーションを組み(おかしな表現だが、正にそうとしか思えなかったそうだ)、毎日朝と晩、雨の日も風の日も叔父の修行の間、行き帰りをずっと見守っていたという。野天での焼八千枚護摩行の時などは、護摩炉を中心に円陣を組み、座ったまま十数時間の”行”を見ていたらしい。
俗に”送り狼”という言葉があるが、本来の語源は、どうやらこの辺りにあるのではないだろうか。
人間とは誠に勝手を絵に描いたような存在で、増えすぎれば大義名分を振りかざし駆逐するし、その種が絶滅に瀕すれば、保護というなのエゴを振り回す。鴇がそのいい例であるし、狼も然りである。
三島由起夫氏は、バイセクシャル、狂気、天才などと、良くも悪くも論評されるが、氏の双眸は間違いなく狼の瞳であった。
松田優作氏もその素行の面から、暴力的、独善的との風評も多々あったが、それは彼の本質ではない。あれ程礼節を弁え、自己にも厳しかった人間を、私は他に知らない。
小林久三氏の生き様じたいも、努力と忍耐の連続の中、現在の地位を掴み取った。
矢作 徹医師の凄さも同じである。
2 本城竜哉、視力復活データ公開
公務員、医師、弁護士などには、守秘義務がある。医師の場合、立場上知り得た患者の秘密を公表してはならないというものだ。これは法律に根ざしたもので、何人(なんびと)も守らなければならないのは当然だ。
矢作院長も私のカルテ掲載には苦慮した様子であったが、私の無理な申し出を受け入れていただいた。ただし、いくら私が厚かましくとも、カルテをそのまま出版社に持ち込むわけにはいかない。
そこで、矢作院長に了解を得た後、事務長立ち会いのもと、看護婦さんにコピーを取って貰うことにした。コピーしたカルテを出版社、印刷所に持ち込み写真製版して貰った関係上、写りの悪い所や読みづらい点、不用な影などが散見できるが、この点はご容赦いただきたい。
また、術後検診は通常、翌日、一週間、一ヶ月、三ヶ月、六ヶ月と続くが、私は仕事の性格上、かなりアバウトな日付で検診して貰ったことを、お断りしておく。
(1)初診時検査カルテより
初診検査の記録は、様々な検査機器で行われ、カルテの枚数もかなりの数になるため、紙幅の関係上私の素人考えで、読者にも判断つきやすい頁を選ばせていただいた。
まず、数値のみ三列並んでいるが、これは第一章でも説明したオートレフケラトメーターによる検査結果で、眼の屈折度数と曲率半径を記したものだ。尚、一番右側下部の数値は眼圧を記したものである。
次に、カルテ下部の四角い実践で囲んだ部分は、私の裸眼視力、その下の実線内はレンズによる矯正視力、その下が眼鏡度数である。
私の裸眼視力は、左右共に0.05、両眼視力0.06だ。この時点でも近視の進行はまだ続いていた。これを屈折度数(D・・・ジオプター)で表記したのが、上部の様々な機器での検査結果である。
(2)一週間検診のカルテより
さて、いよいよ術後一週間目の結果である。
なにをさておいても、下部実線内の裸眼視力に注目して頂きたい。
右1.2! 左0.9! 両眼1.2!だっ!!
読者よ、矢作式RK手術とは、これ程凄いのである。0.05の視力が1.2になっているのだ!
!のオンパレードだが、この時の気持ちを想像して欲しい。眼鏡での矯正視力さえ、両眼で0.8だった私の視力が、術後一週間で1.2も見えている。いや、見えすぎなぐらいだ。!がつく気持ちも理解していただけるだろう。
RKで回復した視力は、眼鏡使用時における見え方と、根本的に違う点がある。それは、明度だ。RK術後の視界は、めちゃくちゃ明るいのである。あまり明るくクリアに見えるので、眼ではなく頭(後脳)が疲れるほどだ。(後略)