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Dancing with Danger:
An Interview with Hong Kong Stunt God ‘Mars’ |
京劇学校 小さい時に京劇を学んだんだ。10歳頃かな。京劇を学んだ後も演技を続けて、学校卒業後に映画界に入った。 京劇はとても身につけるが難しくて、訓練は寄宿制の学校で行われるんだけど、 一旦このような学校に入ると、それはもう長いこと拘束されるんだ。 コースの期間も5年、7年、10年とか人それぞれで、6歳で入学しても20歳まで卒業できない人もいるくらい。期間の制限がないんだ。 そして何といってもつらいのは練習!練習しなきゃいけんだよね。 言ってみたら体操選手みたいなもんなんだけど、もっとたいへんだと思う。 朝の5時に起きて丘を登って喉を鍛えてた。その頃はマイクもなかったしね。朝には発声練習。 それが終わると一度朝ご飯を食べに戻ってきて、その後はカンフーの練習。 1日に10時間以上もトレーニングに費やしてたんだよ。 芸名の由来 小さい時はね、ほんといけてないお子様だったと思うよ。頭はつるつるに剃った丸坊主で。 昔、タイで舞台をしてた時に交通事故に巻き込まれて、28針も縫ったことがあるんだけど、そのせいで、(頭をさしながら)笑ってるのと泣いてる顔に見えるおもしろい2つのキズ跡があるんだ。 当時は役者としていつも丸坊主にしてないといけなかった。 みんな僕のことを火星人とかそれ系のあだ名で呼んでたけど、多分見た目からきてたんだろうな。 チョー・ユン(楚原)なんて僕を"あほ異星人"って呼んでたよ。何も考えてなくて言われたことをやるって意味があったみたいなんだけど。 タイで映画の撮影をしてた時の話なんだけど、その映画の主演の一人にボクシングのチャンピオンがいたんだ。 で彼の共演は、何だっけなツァン・ルイコンとかそんな名前の俳優さんで。 ある日、僕たちはそのチャンピオンとリハーサルをしたんだ。 彼はボクシングのチャンピオンだったけど、みんな彼がどんな演技ができるのかはわからなかった。 演技をするってことは、自分自身を完全にコントロールしていかなきゃならない。 僕はコーディネーターさんに彼に2、3の振りつけるように言われた。 単純なパンチだけのとても簡単なものだ。僕がパンチ、彼が受けてかわして、僕はそれに反応する、という流れでいけそうだったので、実際に試してみたんだ。 僕がパンチしたら彼がパンチし返した。 なんと僕のパンチが届く前に彼の拳はすでに僕に命中してしまってたんだ。 パンチひとつで僕の目の周りは青あざになってしまった。それを見て監督は気づいたんだ。チャンピオンが自分の動きを制御できないばかりかどうしていいかすらわからないのだと。 そこで監督は共演者だったツァン・ルイコンをチャンピオンがやるはずだった役に変更した。 そして、もともとのツァン・ルイコンがするはずだった役を僕がすることになったんだ。 そうなったことは全然構わなかったんだけど、出演をしたらクレジットされるってことになるよね。 そこで、どんな名前でクレジットするのか、ということになった。 僕の名前(本名)はチュアン・ウィンファだと言ったんだけど、監督のお気に召さなかった。監督は僕にず芸名を求めたんだ。 芸名か、何にしよう? 中国語での『火星』は英語では『Mars/マース』だよなぁ、、、 僕にとって初めての映画出演だったし、あまり気にしてなかったんだ。 あの映画の主演俳優はクァン・サン※だったなぁ。かなり前だなぁ、懐かしいなぁ。 こうして僕の名前はマース(火星)になったんです。 ※(關海山/クァン・ホイサン−ロザムンド・クァンのお父様のこと!?) 子役? 当時は子役で、というか子供だったので、物事は単純で僕らはみんな従順だった。 仕事に行って、指示されるままに動いていた。 今とはちょっと違うなぁ。 演技を学んでいたからか、喜んで子役をやっていた。 当時は子役になることは簡単だったんだ。 今の子役たちは専門に学んだりもしていないよね。 もし映画をできる子供がいたら、監督はその子を選ぶだろうな。 昔は子役と共に仕事することはもっと簡単だったんだ。 ブルース・リーへの想い ブルース・リーはただただ偉大。どういったらいいんだろう、彼は万人の憧れだった。 みんなが彼を褒め称えるのは当然のことで。彼は真のスーパースターだった。 早すぎた彼の死は損傷だし、とても悲しい。 もしも彼が生きていたら、映画界の運命は変わっていたと思う。 今日のものではなかっただろうな。 僕は彼を尊敬しています。 彼について何を語っていいのかわかりません。彼については語りつくされているから。それ以上には思いつかない。 スタントマンの安全性 スタントマンになることは昔に比べて遥かに良くなったね。 昔は本当に危険を背負ってた。 体中は傷だらけ、手足は骨折なんてことは普通だった。 今はそんな状況は減ってきてるよね。 昔、僕らがスタントで10とか20フィート(3〜6mくらい)から落ちなきゃいけない時、 衝撃を受け止めるクッションのようなものなんて何もなくそのまま身一つで落ちていたんだ。 でも今はその高さからの落下は監督が許可しない。保険は高いし、負傷する危険性も高い。 今は安全マットを使って、カメラアングルでそれを写さないようにしているんだ。 だから今日のスタントマンは昔よりもとてもラクだと思う。 でも、昔と違って、今のスタントはある意味ニセモノとも言える。そこが大きな違いかな。 70年代のスタントと90年代のスタントを比べてみればみんなも分かると思うよ。 今のスタントは誰にでもできると思うかもしれないけど、70年代当時にスタントをできる人間は限られていたんだ。 ケガをしないというスキルを身につけていなければいけなかった。 とはいっても常にケガをする危険にはさらされつつ、だ。 それでもやっていかなきゃいけなかった。 何が言いたいかというと、とにかく当時の安全水準は高くなかったと言うことを知って欲しいんだ。 成家班 ジャッキー・チェンのスタントチームである成家班ができたのは『ヤング・マスター』製作の2年前だった。 僕はその時には成家班のメンバーではなかったんだ。他の映画に俳優として出演していたしね。その映画が終わった後ちょっと休みをとったんだけど、それはちょうどジャッキーが『ヤング・マスター』を撮り始めた頃だった。 ジャッキーは武術の面で僕に助けを求めた。それでもまだ成家班へ参加してはいなかったんだけどね。 『ヤング・マスター』にはウォン・インシックが大勢を倒すシーンがあるんだけど、僕もそのシーンの撮影現場にいて手を貸したんだ。 その時僕らがやったリアクションはそれまでにあまり類を見ない不思議なものだった。 後ろからひっぱるワイヤーを使うようなアクションだったんだけど、 地面に触れることすら禁止されているかのごとく空中に投げ出されるという感じかな。 実験的にそんな殺陣を仕上げたんだ。 それはうまくいき、そのシーンは素晴らしかった。 ジャッキーも気に入ったと言って、僕は成家班へ誘われたんだ。 でもしなければいけない別の映画があったので、「今は無理だけど」と返事をした。 だけどそれからも毎日話をしていたし、ジャッキーのオフィスにも頻繁に通ってたよ。 その後、僕の方の映画の撮影が終わって仕事の一段落ついて、正式にジャッキーの映画に参加することが可能になった。 ジャッキーのところでの初作品は『ドラゴンロード』。 『ドラゴンロード』撮影中は僕はあくまで俳優であって、まだ成家班のメンバーにはなってなかった。 正式な成家班への参加は『ドラゴンロード』の撮影後なんだ。 昔の話なんだけど、ジャッキーと僕は(学校は別だったけど)同じ年代に京劇の学校で学んでいて、お互い顔見知りだったんだ。 同じ分野・舞台にいると、いろいろと会う機会が多いんだ。 よく見かけたし、お互いにフレンドリーだったから、いい友達だった。 それも彼のアクションチームへ参加を決めた理由の一つだった。 成家班では俳優業以外に、僕はスタントをやっていたよ。 僕は武術指導であると同時に、ジャッキーと一緒に殺陣をつけているところでは、本当にどんなスタントもやった。何でもやった。 作品の規模に関わらず、ジャッキーに関わるものであれば、いつもセットにいて、とりあえずスタントするという感じかな。 近年の香港映画業界 今は昔とは全く違うよね。思ったとおり、起こるべくして、時代が変わったんだ。 発言の根拠って? 昔はヒット作品のオンパレードだったけど、なんでだと思う? それは映画を観るのには映画館しかなかったからだよ。 テレビとかビデオとかが主流になると、みんな家で映画を観るようになった。 皮肉にも技術の発達によって映画制作は難しくなってしまったんだ。 だけど映画を観るのは本当に便利に簡単になった。ビデオでは何でも揃ってるし。昔は映画館に行くしかなかったんだ。 当時の映画のスターたちの圧倒的な人気ぶりはそんな時代背景も理由だと思う。 大好きなスターに会うためには映画館に行くしか方法がなかった。 でも今は一般家庭のテレビでも簡単に有名人を見ることができる。 昔はテレビを持ってる人もそんなにいなかったんだ。 つまりは、これからは映画を作るのはより難しく困難になっていくということかな。 監督も新しいアイディア枯れしているし。 ほとんどの脚本が現実離れしたものになりつつあるようにも感じるよ。 それにお客さんはどのように対処していけばいいのか? 映画業界が抱えてる問題はそのあたりだと思うよ。 新しい技術と融合させて、我々の映画を傑作とするようなものを見極められたらいいね。 現在の活動状況と今後の展望 僕は今はテレビをベースに仕事をしています。 今でもジャッキーと仕事するけど、契約はもうないんだ。もし彼が僕を望んだら、僕はいつでもやらせてもらうよ。 今のテレビの仕事でもでもスタントをやってます。成家班でやってた時とあまり変わりない。 僕は自分ができることをしていて、それを活かすようにしているんだ。 これからは若い役だけでなく、まぁ、僕がもう若くないていうのもあるけど、もっと上の年齢の役にも挑戦してみたい。 僕の持っている経験と知識を含めた"能力"を存分に発揮できるような作品を探しているんだ。 過去の出演作については、はっきりいって多くない。 目立った役では『蛇猫鶴混形拳』と『ドラゴンロード』くらいで、他は出演したってほどでもない平凡なチョイ役だったし。 加えて『ドラゴンロード』でも主役(領衛主演の意?)ではなかったし、 『蛇猫鶴混形拳』は主役だったけど、とても小規模の映画だったし、自分的には満足していないんだ。 いつか、もっといい演技を見せたいと思っています。 ファンへのメッセージ どう挨拶していいかわからなんだけど、、、 謝謝! |